おしりに火をつけて
普段、過去を振り返ることが多いのですが、最近は未来のことを考えています。
和歌山に帰ってきて、「車の必要性」を感じているからです。
「車を買う」のは、私にとってすごく高いハードル。
「このままこの仕事を続けていけるのだろうか」というところまで考えなければならない金額。
うーん。
と、未来のことを想像してみました。
仕事…これ以上のやりがいがないなら、辞めてもいいかな。
趣味…旅行、だけど今は無理かな。
仕事にやりがいを見出すには…
ハッッ
「日本人学校への派遣制度」
せっかく公立の教員になれたんだから、これ使ってみようかな。
私「3年後、日本人学校へ行きたいです」
指導員の方「(๑•ૅㅁ•๑)!いつから考えてたの!?」
私「去年です。」
指導員の方「派遣は結構競争率高いよ!相当力がないとね!」
ポジティブな私(仕事を頑張れば海外ワンチャンあることが確定。)
場所はどこでもいいんですが、とにかくどこかへ行ってみたい。
「学校の先生になりたい」と中2の時に漠然と思ったことが9年後実現したように、「どこかに行きたい」と今漠然と思ってることがいつか叶うかもしれないな〜。ワクワク。
でも、ほんとに険しい道らしいので、来年は担任と教科主任して、再来年は教務部長になるくらいの勢いがないと。
悠長にしてられない。英語も勉強しなければだし、ーーーー。
そもそも日本人学校って内情どんななんだろ。
教員3年目、今まではぼーっとしてここまできてましたが、目標が見つかりました。
やけど痛
GWが終わってしまうことをとっても残念がっています。
積み上げた段ボールたちに囲まれて、コンビニのカルボナーラを食べる22時半。
本日は朝から晩まで引っ越し作業でした。
両親が離婚。やむなく母と弟と3人暮らしです。
もうすでに次の引っ越しがしたいです。
新職場では、一人で勝手に追い詰められているような、毎日。
原因は「自信がない」。これに尽きると思います。
いい加減でもイキイキと仕事している方が、自分も周りもハッピー…!
そう思ってはいるものの、なぜか負のオーラを放ってしまう(最近自分でも気づいてきた)。
ちょっと開き直って「そういうキャラ」にしていこうかなと思った矢先の研修。
「元気がない」と。わかる。でもほんとにこれが精一杯なのです。
週3日、授業を見られ、評価されます。
初任者🔰なので仕方ないですが、疲れるぜ。
毎回あんまりにもコテンパンに言われるので、毎回言われたことを修正してみるのですが、も、も、いくらでも溢れてくるやん。
最近はシャーマンのように、別人格を憑依させて授業しています。もう、「私」はいない。
声にハリがでて、抑揚のある音読もできるようになってきた。間をおいて話し出す…。
確実に前の私よりよくなっている、指導のおかげで。
でも、私よ。私はこれでいいのかな。
私はこれがしたいのかな。
指導教官はこういいます。
「どれだけ工夫して作った授業でも、生徒に伝わらないと意味がない。適当で、ちゃらんぽらんな教員でも、生徒に伝えるということができれば、その教員の方がレベルが高い。」
そうだよなぁ。
完全に逆の方向に走ってたもんな。
完全に逆の方向に走ってたもんな。
かん…
完全に逆!!!!
ーーー
燃料がきれたように、授業準備はすすみません。
今までは「国語」と「生徒」を出会わせる係。くらいに思ってたのが、「私」の存在が濃くなってきている気がして、一言で表すと「キモい」
教壇って、舞台じゃないと思ってた。
いや、いまでもそう思ってる。信じてる。そんな場所じゃない。
もし教壇が舞台なら…。こんなこと、したくない泣
今、私の最も弱い部分が炙られています。
GW、のびろーーーーン!
突発性難聴になったという話
昨日から、耳がぼやぼやしてまして、
「中耳炎かな?」と思って少し様子をみて、
今朝、「右耳が!やっぱ変!」ということで、
病院に行ったところ、
「突発性難聴ですっ」
すっ。スッ。スッ…。
感覚は、飛行機のアレ、とか、水中のアレによく似ています。
検査の結果では、低い音がほとんど聴こえてないみたいです。私的には、今までの4分の3くらいは聴こえてます。
あ、でも、話し声とか、近くで音を聞いても、すごい雑音(「キーーン」という感じ)でなかなかの聞き取りづらさです。
音が拾えないことよりも、何かが耳を塞いでいるようなキモチワルサのほうがストレスです。
これからは治ったり再発したり(ラジバンダリ)を繰り返していくみたいです。でも、いつ治るかは分かりません。3割の人はステロイドで治るみたい。でも、3割の人は何しても治らないみたい。ギャンブルだなぁ。
悲しいことは、イヤホンの音質が悪くなったように感じてしまうことです。
これめっちゃ悲しい。
ほんとに、今年度は病院yearでした。まだ続くんですけど…。
私がマイペースだったという話
4月から和歌山市の学校で働くことになりました。
2年間、教員という仕事をやってみて、今思うことを書いてみようかなと思います。
【思いのほか、「協調性」が必要な仕事だった…。】
これについては私の思考が本来あるべきところとずっと平行のまま交わらなかったです。
たとえば、文化祭の出し物が1時間のホームルームで決まりそうになかったとします。
私は、「とことん待つタイプ」です。文化祭に間に合えば、(もちろんクオリティは経過時間と比例して低くなるのでしょうが)その1時間で決定しないということに、問題はないと思っていました。
私の中で、文化祭は生徒のものであり、文化委員がリーダーなのだ、という認識が強くあるからです。
他には…
帰りのホームルームはいつも最後でした。
私が「何も言わずに待っている」からです。
副担任の先生は私の代わりに入った時、とても苦労されていました。私とは正反対のタイプでした、すごくストレスだっただろうなと思います。
その他…
掃除当番はチーム内で役割を相談して決めてもらっていました。
席替えは学級委員、朝夕の礼拝、本来は教員が進行するところも係の生徒に任せていました。
これらは異例のことだったそうです。
でも私は当たり前に「できるやろ」と思っていました。
それは生徒に「制限時間」を設けていなかったからだと思います。
生徒が自分で考えて、気付いて動く、その練習をするのが学校だと考えていたので、時間はあまり重要ではありませんでした。
(生徒には、「あいつ、仕事してないやんけ」と思われていたと思いますが…。)
教員ができることで、大切なことは、生徒を急かすことではなく、「生徒に見本をみせること」「方法を伝えること」だと思います。
そして少しずつ(ほんとに少しずつ)「見本ができる人」「教えられる人」が生徒の中に出てきます。
そして、
その人を頼る。笑
がっつり頼る。(たまに自己犠牲さんがいますのでバランスは考えます。)
そして、生徒だけでも運営できるクラスになればいいんじゃないかなぁ〜(軽め)と思っていました。
実はこの考えがあんまり一般的ではなかったようです。
生徒都合だけではなく、学校都合も考えなければならない。いや、むしろ【学校都合>生徒都合】
うーん、でも私は【生徒都合>学校都合】だった。
そのギャップをひしひしと、日々感じていました。
「本当にやりたかったことは、どこでできるんだろう」
まだ解決できそうにない私の今1番の問いです。
この気持ちはどこから
親を憎む気持ち
別に悪い人ではないのだけれど、
どうしても払拭できない気持ち
この原因を、私なりにずっと考えてきた。
芽生えは小学校高学年から
「反抗期」
だと思う。
きっかけは、「女だから」という理由で、野球部に入らせてくれなかったこと。
この日から、「なぜこの人たちのところに生まれてきてしまったのだろう…」という憎しみというか、絶望というか…が明確に生まれた。
高校に上がる時、母は友人と
「こどもは反抗期なかったよ」
という話をしていた
私が大声で叫んだり泣いたりしなかったから
だと思う。
親に気持ちが伝わらないと感じたとき、
中学生の私は
部屋で声を押し殺して泣くか、
お風呂で口パク妄想会話をするか。
ーーー
小学生の時にはちゃんと泣いていた。
でも、泣いていると、
親に「どういう気持ちなの?」
と聞かれて、うまく答えられず
「よく分からない」と言われ、
【孤独感】に襲われたあの数回で
[情緒が不安定な時は、干渉されない方が傷つかない]
とバリアを張るけついをした。
でも、赤の他人にはベラベラ話してしまう。
最近この感覚が「一般的ではない」ということを知った。
『普通、家庭のことベラベラ話す?』
『そんだけ話せてるなら大丈夫でしょ』
『自分であとから「言っちゃったなぁ」とか思わないの?』
あぁ、世間はそういう。
なるほど。
…どうしよう、よくわからん。
ーーー
心理カウンセラーは、2週間に1度のペースで話を聞いてくれる。
たくさん溜まっていた石を少しずつかきだすような、そういう作業。
スッキリするのだけれど、私は片付ける術がないので、かきだしっぱなし。
またよく分からない感情がこみあげてきて、泣く。
10月からはずっとそんな感じ。
カウンセラーの先生は親身で、しっかり解決しようとしてくれている。
次のキーは【甲状腺】らしい。
値が高いという。
来週は甲状腺の検査。
何か、新たな発見があればいいな。